考える振りをする人

あまり人前では言う機会のないことを書くメモ的ななにか

お気に入りのアニメmvを見て思った

最近何もやる気が起きなくて、せめてゲームでも一生懸命やろうと思って気づいたのが一つ。

何かやらなきゃなと思って知見を詰めようとするもゲームだし楽しくないことを這ってでもやろうとは思えない、思いたくないのかも

まぁそうは言ってもとりあえず色々リハビリテーションはしていて、その一つとして最近は第二期の譜面群を復習がてら勉強してた。

味は最大限出すべきだなというところと、技術に捉われると思考を呪われるところを気を付けたいね。

まー何だろうか。自分が過去に再三言っていたことを忘れるのもどうなんだろうとは思うけど、技術として作るなら最悪どこの誰が作ったものでも良いわけであって、それが集合知的技術の結晶ではなく感情の昇華度合で語られるべきだなとは思った。

芸術に留まらず五感に語り掛けてくるものは理性ではなく感情なんだなぁと理性に頼り切って痛感した。そこが第三期に足りなかった所かもしれん。無い物ねだりかもしれんけど。

そこに規則性を見出そうとしていた時点で間違っていたのかもしれない。少なくとも「自分が確認可能な規則性」という柵で規則性は確立されているわけだし。

だから。まぁ拙いなぁとは思っても感情を考えるべきではあると思う。ただそこにも優先順位はあるものだと考えていて、今のところは「空気感>解釈>感情>世界観>技術」といった風かも。

そう考えると「譜面に対して時間割でコンテを切る」という行為そのものがそもそも見当違いも甚だしかったかも。やるなら「何をどう感じてどうしたいのか」という感情の彷彿のサポートと「配置しなかった配置」に対する意味当てを考えるべきかも。

後は遥か昔に言っていたことで、なるべく起承転起承転で転がしていくことだね。最悪結は入ってなくても良いと思う。

 

あと第二期の譜面を見て思ったのがとりわけ「体感速度」をとても良い方面で重視しているなということ。ここらが今の自分にはない、というより過去を忌避して選択したスタイルの欠点かな。

今しばらくは良い感じに中和させる方法ではなく最大公約数以上で融解させる方法を模索したいね。マッピングは今も昔も思考体験になりうるし。拙く見える第二期でも今の100倍は考えていたんだよな。そう考えると思考力の向上を感じなくもない。自画自賛した。

 

あーあと、やる気が出たらぷよぷよについて深度のある考察をかましていきます。やりたい項目は専ら「逆算的詰みと疑似詰み」だね。これは簡単で、敗因に直結しうるアクシデントに対して詰みの視点からどの手が悪手だったか、また特定の状況下での中盤形の詰みをどう判断できるのか(物凄く頭の良い人が計算式化してくれるとありがたい)、応用的には保持手に対しての詰み行動の選択とか、土台崩しの合法化とか、今流行しているぷよぷよの戦い方に少なからず影響を与えられるんじゃないかなーという思考をしたい。

ただこれもどちらかというとぷよぷよのモチベはなくて(今も昔も)思考欲に傾倒しているからやる気が起こるのかは微妙。結局思考しても使う場面ないしな、対戦やる気起こらんし・・・