ああああ
なんか承認欲求満たされてーなとふと思った
新しい趣味でも始めればいいのかもしれん。
もっと別の所からも評価されるようなことをしてーなと思った
なんだろうな 直観的に視覚に語り掛けるもんでもただ相対的な結果としてそうなるのでも何でもいいんだけど
絵とか音楽みたいな大多数の人に馴染みがあってかつ凄さの伝達方法が簡潔なものが取っつきやすいのかなとも思う
文章にまとまりがねえ。
そもそも承認欲求の出所があやふやなのが問題なんだよね?
例えばぷよぷよの話で言うなら、上手い人がいてその人が「上手い!お前は天才!」って言われてたとしたら、「いやいや俺だって頑張ればあれくらい出来るようになるよ」みたいな稚拙な闘争心を燃やすのが俺なんだよな
ここで鍵なのが実際には絶対に努力するという行程に至らないこと。
何故?って考えると、どうも今までを振り返ってみると他者からの評価を自分の存在価値に結び付ける事が多かったように思える。
だから、「努力する」という経費と「褒められる/認められる」という褒章が余りに釣り合ってないと感じるとそこで意気消沈してしまうみたいなパターンが多い
これが「他者からの評価」のみに適用されるならまだ良いんだけど、その領域が自己肯定感にまで及ぶからすげー息苦しいんだなと認識した
例えばぷよぷよなら「お前は天才!」って言われてる人がいたとしたら「ほほうそいつが天才ってやつなのか。ならばそいつを超えてやろう」みたいな心持ちの方が器量的、感情的、可能的側面全てにおいて良いんじゃねーのかって話。
自分の人生におけるメタ認識は自分がラスボスなんだよな。もっと自覚持ちます。すみません